京都公演からもう3週間になろうとしています。この3週間で冬になりました。
永運院(京都公演会場)の門をくぐってすぐのところにおいた金魚鉢。
中には、ダンサー(金魚師)合田有紀さんからもらいうけた、手塩にかけた赤とベージュの2匹の金魚の男女。
2日前、少しでも広い世界で泳げよと、ベランダに人口池を置いて放そうとしたとたん、ガラスの金魚鉢は一瞬にしてパーンと割れた。
金魚は無事だったけど、なんともろいガラスの金魚鉢。
囲われた世界はこんなにも頼りないものだったのか、とアジールの物語に想いをはせた。
今日は、京都公演を東京から見に来てくれた観客から感想が寄せられた。
紹介します。女性はいつも何かから逃げたい生き物なのでしょう。
****************************
文:村上理恵
今週末、東京池上實相寺では「ASYL/アジール」東京公演ですが、11月にあった、「ASYL」京都公演、見に行ってきました。
お寺という場所も、そのパフォーマンスも、まだまだ幼い私(とか言ってられんのやけど)には尊いもので、「追いつけない」。
... 追いつかなくてよくて、でも、それでも、追いかけたくなるような時間だった。
あの深みに近づきたい。
その深みに、はまりたい。
逃げる人やシーンを見ながら、それを追うような気持ちになった、ということは・・・ああ、そうか、今考えると、あの日の私は、そこに立つ人に自分を重ねるような私ではなく、その光景を見に来た野次馬のような私だったんだろうな。
もしくは、憧れ、みたいなものかもしれない。
ASYLは、避難所、のこと。
逃げる、ということは、どういうことか。
自分を守るために、身を守るために、貫くために……逃げる、という行為は、自分のために放たれる力だ、と思う。
立ち向かうことと、逃げることは、そう考えると、遠くないような気がしてきた。
私が今、立ち向かおうとしているものは、何か。
踵を返し、逃げ去ることが、必要な時もある。
……ASYLを見ながら思った、そんな、自分への一考察も重ねながら。
また、この週末を待とうと思う。
きっと、京都で見たときとは、違うものに、違う自分に、出会えるだろうな。
と、うだうだ書いてみましたが。
書いても書いても、わたしにはまだまだ、たどりつけません。
わかりませんな。
とにかく、上質でした。
残像も、残響も、肌触りも、残り香も。
