2011年5月11日水曜日

技術スタッフゼロで出来んのか?

TEXT by IINA

京都・初音館スタジオのデモンストレーション公演(2011年3月25日)が終わって、記録したビデオとか見たり、ゴールデンウィークがあったり、震災とか原発問題とか、ビンラディン殺害とか、ウガンダでは同性愛者を死刑にする法律ができそうだ、とかそういうこともあって、世の中の常識がトップダウンで狂ってきており、個人が狂っているうちはまだ笑っていられるが、国家単位で狂ってくるともはや個人の手には負えない。ナチスで散々な目にあった人類も未だ何の学習も出来ていないということになる。すくなくともチェルノブイリの悲劇は学習されなかった。ドーハの悲劇とか言ってる場合じゃないのである。

いきなり大きく話がそれました。

さて、表題にある「技術スタッフゼロで舞台芸術はできるか?」という話です。
技術の仕事している人が読んだら、けしからん内容のブログではあるが、まあいつも思ってることだから仕方ない。
賛否分かれると思いますけど、僕の答えは「いなくても出来るか出来ないか、というよりは、やる」です。
実際、出来るわけなんですが。質は別として。。。

そもそもなんでこの作品「ASYL」に技術スタッフがいないか、というと、、、

理由その1。予算がないから。

理由その2。そもそも技術スタッフがいなかったから。

まずは予算はない。金など無いのだ。はじめっから。舞台芸術、とくにダンスは予算減ってますね、助成金に関して言えば。だから助成金に頼らないで興行収益だけで公演が継続てきるシステムを考えないといかんのです。なかなかの課題だ。

それから、舞台芸術に関わり始めてから僕個人の経験では技術スタッフに対して確実に「怒り」の方が多い。これまで。なーんで言ったことをやってくれんのだ、とか、ウンチクの前に手を動かせ、とか、昨日と話が違うとか言うなー、とか、そんなことばっかりでウンザリすることもある。
とはいえ彼らの言い分も分かる。「予算が少ないから出来ないのだ」「時間が少ないから」「それをやるには人手がいる」「本番前に変更が多くなったからキツいのだ」という類いの正当な理由が彼らにはある。それらはまったくこちらの責任。どうもすみません、、、
特に今回のASYLのような小規模公演で興行していこうというコンテンツで、通常の劇場スタイルの人員構成では予算がかかりすぎるし、意思疎通の時間がかかりすぎるから、先述したようなやりとりがスタッフと発生することがすでにストレスになるし、互いにストレスになっては意味がない。

だから、もう技術さん頼まずに全部自分でやる。となったわけです。
仕方ない、ということと、それしか方法がない、という結論に達した。

ASYLでは、照明、音響、映像のオペレーションは、全部僕がやりました。デモンストレーション公演のときは、まだすべてのシステムが確立出来てなかったけども、「ISADORA」というソフトウェアを使い、2台のコンピューターをOSCという信号でシンクロさせて、音と映像のタイミングを1台のコンピューターでオペレーションした。シーンごとにSPACEキーを押せば、そのシーンで必要な2つの映像と音がシンクロして再生されます。照明は超アナログ作戦で、手元にスイッチを全部集めてカチカチ操作。次回の本番はDMXでちゃんと調光できるようにします。

という具合で、手持ちの機材で公演が可能。

やってみて良かったことは、すべての時間をリハーサルに使える、ということ。テクリハは、自分で合間にちょいちょいやれば済む。それから、余計なことをしなくなる。特に照明などで、やりすぎちゃう、ということがない。必要なところに必要なだけ光をあてる、という初歩的な感覚で進めることができます。そうすることで、ダンスの存在感を真剣に考える様になりました。

以前、あるイベントで照明作家とトークセッションをしたときに「照明で作品が決まる」という話も出て「光のあて方、角度、光の種類、陰影で身体の表情が変わる」という話を伺った。大変勉強になった。しかし演出家が照明に頼りすぎてしまうのは問題である、と僕は思う。つまり「そもそもなんで照明必要なんですかー?」ということだ。もっと言えば「このダンスに音楽必要なんですかー?」とかね。司会の人に「照明あてないとダンサー見えないですよ」と笑われたが、いやいや、そうじゃなくて、じゃあ劇場みたいなわざわざ頑張って暗くした空間で、暗いから照明つけましょう、ってどういうことなんだろうか。とか、屁理屈を考えてしまう。実際は「暗さ」と「明るさ」が必要なのであって、だからあえて暗くすることで、明るさが演出できるのであるから、劇場空間は必要なんですが。僕は舞台照明というのは「光と影のコントラスト」だと思っているから(ちなみに映画も「光と影の現象」です)、照明の必要性は否定しない。でも、ダンス=劇場で照明と音楽くっつけて踊る、というのが常識になってしまっているのは事実だ。「いつもやってもらっている照明作家に任せている」という演出家も多かったから、なんかしっくりこないのです。イメージを伝え、照明作家に作り込みをお願いする、ということになります。確かに舞台芸術は総合芸術なので、色々な人の技術が集結して完成するものなんですけども、そこにちょっと待った、と思う。「任せている」と言えば聞こえは良いけど、つまり「丸投げ」ではないか???それは、、、どうなんだろうか。一体それは誰の作品なのか。。。

昔と違って今は、音のエディットを自分で出来るから、ダンサーも自分の公演で使用する楽曲を切り貼りして自分で作ってくることが多くなった。映像も同じ。照明だけがまだ自分では出来ない技術になっている。しかし、自分で作った音をラジカセから流し、作った映像を自分のプロジェクターで映して、家にあるスタンドライトを自分にあてて踊る。。。これじゃダメなのか?そこから作っていくことで、必要なモノがもっと明確になるはずなんだが。



スピーカー、照明、プロジェクターを車に積んで、どんな会場にもささっと行き、道路で遊んでいる小学生を捕まえて機材下ろすのを手伝わせ、ぱぱっと設置して、公演をする。
それが僕の理想型。