2012年9月4日火曜日

アジール再演計画 新潟編 vol.3

岩室温泉は、のどかな温泉地なのだが、「水と土の芸術祭」の旗が立ち、ちらほらと誰もいない辺鄙なところで急にアート作品が出現する。こんな感じ。アイルランド人の作品制作現場に和田さんが連れて行ってくれた。

さて、今日も地獄のように暑いわい。アジール再演計画の旅、最終日となった本日は、角田山妙光寺の小川住職さんが翌日が大イベントの日なのに、時間を作ってくださった。
岩室から20分くらい車で走ると、広大な敷地がみえてきた。山の上にあるようだ。

http://www.myoukouji.or.jp/ 妙光寺は永代供養のお墓のシステムを日本で初めて作ったお寺として有名だ。小川住職さんのお話しは、静かな中にとても説得力がある。「お寺は日本の縮図なんですよ」とおっしゃる。檀家もなくなり、人口も減り、身寄りがなく子供がいない人が増え、死に方を問うとき答えがない社会。そしてまさに明日のわが身、と思う人がなんと多いことか。その割に、犬も歩けば寺にあたる、くらいの密度で寺は全国にある。
 
誰もが「できるわけがない」という当時は夢のような話が、現実となりポピュラーになるまではそう時間がかからなかったようだ。来年は700年記念の年、700人で祝うツアーが1年前から500名の予約がすでにあるという。つまり、寺の門を開き、檀家以外の人々が集う文字通り開かれた寺にすることを成し遂げたということになる。「宗派も超えた寺をつくる」と現職の住職から聞いたの初めてだ。



 
建物は質素でよい、、人が集う寺にしたい、死に方を考えると生き方を考える、親族でない人に骨を拾ってもらうため今、つながる関係をつくりたい。明日のイベントのため多くの同じ志をもつ人々が猛暑の中、汗をだらだらかきながら準備を進めていらっしゃるのをみると、あーいいなー、と思える。

お時間のない中、真摯なお話を聞けてとてもうれしかったのだが、よくよく聞くと、お寺にとって今回の目的「アジール」の公演をする必要がないほど、檀家以外の人がお寺にきてもらうため、という必要もないほどに既にぎわっているし、イベントはベトナムの水中人形劇をやったほど、やりつくしてもいる。うーん。もう何もしなくても人が人を呼んでくる状態に達したという理想的な寺みたいです。

地の利も決してよいというロケーションではないけれど、これほど”この寺”で「アジール」をやりたいと思ったことはなかった。縁切り寺が江戸時代のアジールだとすれば、現代のアジールの場としてふさわしいのは、生き方と死に方の交差する場所ではないか、と思えてくる。これからいろいろ超えないといけないことがあるけれど、この素晴らしい寺でやってみたいなあ、と思った。

冷房がなく座敷でやるのは無理ですよー夏は、とのことですが、半野外の外は300人くらいを収容でき満月の明かりのした、風がとても気持ちいいそうです。。


あっという間の3泊4日の青森、新潟巡礼の旅ーでした。
お会いしたキーパーソン 青森の立木さん、弘前の村井住職さん、岩室の和田さん、小川住職さん
の皆様、お忙しいなか、アジール再演計画に耳を傾けていただきありがとうございました。
皆様のお話しは、パフォーミングアーツの世界で、舞台作品を再演することや、制作を続けていくことのあまりにも、途方もないほど世の中の流れから逆行し、つぶれそうになる気持ちを「再生をかけた生き残り術」の創意工夫を叱咤激励してもらった気持ちです。
背中を押され、ちょっと前に出れた感じです。これからもよろしくー。というか、これから、実現するまでよろしくお願いします!
 





2012年9月3日月曜日

アジール再演計画の旅 vol.2 弘前から新潟へ

<新潟編>その1 岩室温泉
 年に1回あるかないかの早起きをして、立木さんの車に便乗。午前中、弘前のお寺密集地にある禅寺ー曹洞宗 をみせていただきました。広々としたこのお寺は、立木さんが企画した奈良智展の際、ボランティアスタッフを大人数宿泊させていただいたという解放されたお寺です。



 弘前から青森に回り、国際芸術センター青森ACAC http://www.acac-aomori.jp/を見学し、青函連絡船の停泊を眺めつつ、名残惜しい駆け足の青森と別れを告げる。立木さん、本当にお世話になりました!またの再会をーー




 灼熱の青森から、JRで新潟に向けて南下していきます。日本海に沿って6時間列車の旅。
この日も灼熱の太陽が照りつけます。秋田駅での乗換は、40度ほどあるかと思う猛暑。それでも海に沈む夕日は美しい。


新潟駅から40分ほど越後線にゆられ岩室駅まで。車窓からは一面に広がる青金色の稲穂。
あーここは米どころだったんだなあ、と、改めて感慨。

目的地は、温泉芸者で有名な岩室温泉。何やらアジールの世界に近づくようです。
今回の訪問は、アジールの出演者・邦楽家 西松布詠さんのご紹介で、高島屋という250年の歴史を誇る老舗旅館で、以前、西松さんの演奏会をされたようです。いやいや、聞きしに勝る素晴らしい雰囲気のある旅館です。





元、庄屋さんだったらしくその庄屋さんが、岩室の温泉を掘り当てられたようです。
庭にはフクロウの親子が、毎年、生まれるようで2500坪の庭園内を飛び交っているとのこと。
いやー暑いけど、温泉も最高です。
アジールの会場として、お寺以外にも、障子の広間がある江戸風情の旅館もいいなあ、と。
この高島屋さんもそうですが、別府にも山田別荘という和洋折衷の風情ある旅館があります。
アジールの中に出てくる花魁遊びの座敷はこんな感じだったんだろうか、と想像が膨らむ。温泉芸者ー花魁・・

庭を一望できる宴の間

旅館の文化と伝統を守ろうと奮闘する高島屋若女将

さて、この高島屋さんのななめ向かいに和田義浩さんという、よくぞこのような御仁が
岩室温泉にー?という人物が70年代風のロックスナックをやっておられます。
故・立川談志師匠と生前、とても懇意にされていた方です。わたしとほぼ同世代?ということもあり、なんだか懐かしいサブカル話に花が咲きます。
「アジール」はとても素晴らしい作品だと目利きの和田さんに評価をいただき光栄です。
新潟での実現に向けて、和田さんという強い味方に巡り合えて嬉しいです!
岩室温泉にある「水と土の芸術祭」の変な床屋アート作品をやってました。

我らが和田さん!





 和田さんや、高島屋の若女将からの説明によると、一昔前は岩室温泉は大層華やかだったそうな。企業の接待で、「ちょっと遊びに行こうか」というと岩室温泉でパーッと、いったそうです。
お酒を飲んで、芸者をあげて、1日中、旅館のお座敷でお金を使い続けた時代。いまは芸者遊び、という習慣がなくなってしまった、というわけ。旅館としても、芸者衆としても、宿代だけでは上りが出ない。プラス、旅館 という文化が消えていきそうな時代。それを残すだけで精一杯の現実。若女将は、高島屋の壊してしまうにはあまりにもおしい建築物、日本の文化の灯を絶やさないために、日夜奮闘されています。この寺も旅館もしかり、時代に逆行している存在に必要なのは、アジールそのものかもしれない。
さて、明日は最終日、永代供養を発明したお寺を訪れます。

「アジール」再演に向けて、青森~新潟への旅<青森編>


 暑いですねー。JCDN水野です。
来年のアジール再演計画中のためお寺巡り営業の旅に出た。
舞台作品ではあるけれど「アジール」の場合、会場は”劇場”ではなく、”お寺”であることがコンセプト。初演時の京都と東京公演の会場となったお寺は、普段から自主企画としていろんなジャンルのアートイベントを行っている、いわば開かれたお寺さんであり、出演者の以前からの繋がりがあっての上演とあいなった。
 今回、全国再演ツアーとなると、さて、どうやって上演できるお寺と出会えるのか?日本全国津々浦々、どんな町にも必ず在る寺について、そもそも事情に疎い。アジール再演にあたって、宗派、檀家、観光寺、と、日本人にとって当たり前の寺とは何なのか、ということも遅ればせながら、直面することになる。
 とりあえず、「アジール」という作品に興味を持ってくれそうな方々の顔を浮かべてみる。
まずは、北は青森。アートキューレターの立木祥一郎さん。合同会社 teco LLC. http://www.teco-llc.net/ を立ち上げている。いろんな経歴の持ち主だけど、いまは青森空港から車で10分のところに位置する、小学校の廃校を利用して、カフェ、アートSHOP、などが入る王余魚沢倶楽部を運営している。以前からぜひ、訪れてみたいと思っていたところ。パフォーミングアーツの制作場所として、最適のような直観。

 
 
 
 
 
 涼しいと期待した青森が、”年に2日あるかないか”というまさかの猛暑日にあたってしまったー。アチチチーと37度。王余魚沢倶楽部はこんなところ。







 さて本題。アジールの再演の相談を立木さんにしたところ、これだ!と閃いていただきました!
弘前の町中、弘前城の真ん前に位置するお寺、浄土宗「専求院」は、30代の若い村井住職さんが、10年先のお寺の在り方を試案中で、多くの人が集うようなお寺にしたいという開かれた
お寺を目指されています。




全国のお寺で聞くのは、檀家が年々減っていること=経営難を意味。
村井住職さんは、アジールのパンフをみて、「自分のとても好きな世界」とのこと。嬉しいですね。
立木さんいわく「いまのお寺の問題は、アジールそのものなんだ」と。

専求院の様子です。美しいお寺です。
雪国の冬は、お墓が深い雪に埋まるため、お参りできなくなるので、本堂にはずらーっとお位牌が並んでいました。



 


壇家さん以外、現代人の多くは観光寺以外の寺の中に入ることはほとんどなくなってきた。だけど、寺に足を踏む入れるとどこか、仏教徒でなくとも、どこか懐かしいような、ほっとするのはなぜなのだろう。DNAに組み込まれているのか。
作品をみるために足を踏み入れるお寺という空間は、なんとも贅沢な非日常な空間です。劇場より劇場の設えにみえてくる。

立木さん、村井住職さん、是非、実現に向けてよろしくお願いします。

2012年4月11日水曜日

パンフレット制作中

どうも、飯名です。
桜の季節であります。
アジールのパンフレット作り開始。
ダイジェスト映像と記録映像のDVDはなんとなく完成しているので、やはり必要なのは紙媒体だ。
DVDを渡してすぐに観てくれる人少ないからね。やっぱり。
紙媒体は即効性あるわ、その場で見てもらえるという利便性。


そういえば、沖縄音楽の古我地さんが、自身の紹介冊子について「捨てられないものを作ろうと思った。今はすぐ捨てられるものばっかりだから。」と言ってたのを思い出す。
そうそう、捨てられないようなデザインと紙触りと内容。
そういうの作らんといかん。しかし、こだわるだけ金がかかる。。。

2012年4月9日月曜日

第43回美紗の会


どうも、飯名です。
西松さんのお弟子さんたちが競演する「第43回美紗の会」にこっそり潜入してまいりました。
全部で50曲。小唄、端唄、新内小唄といった様々な楽曲。4時間ほどの演奏大会。
パンフレットを見ると、唄と糸という風に書かれており、唄、というのは唄う人。糸、というのが三味線の人。西松さんが伴奏者として糸を担当する組み合わせもあって、師匠と弟子のセッションであります。
お弟子さんたちの緊張感。
芸歴の長いお弟子さんは、さすが堂々としてますわ。そして年配の旦那衆は粋なおっさん集団であります。

最後は、立方:花柳千寿文、唄と糸:西松布咏。
『上げ汐』という小唄での舞い。なかなかのエンターテインメントでございます。唄と踊りのリンクが面白い。情景が見えてくる。芸能とはこういうものを言うのでありますな。





帰り道、国立劇場の桜がキレイに咲いておった。



2012年2月20日月曜日

男と女の縁切り作法

by IINA


東京公演(2011年12月11日)で作品上演前に行われた特別説法「男と女の縁切り作法」は大好評であった。
縁切寺の資料館館長・高木侃さんに、現代の問題に絡めて面白く解説して頂いた。
川柳に残されている当時の男と女の関係は、非常に深いものがある。江戸時代の離婚のシステムや、三行半の位置づけ、そこから見え隠れする女性の生命力。作品上演前のイベントとしては、豪華な内容であった。

東京公演は、説法30分、作品80分、作家トーク30分。
長いっちゃあ長い公演である。
しかしお寺の雰囲気が時間も空間もびよ〜んと異質にしてくれたのであった。
トークのあとに、みなさんに熱燗一杯でもサービスしたら、もっと寺を満喫できるね。
次回はトライしたいものである。


インタビュー記事はこちら(満徳寺WEBサイトより)。
「江戸時代の女は強かった」 縁切寺に見る離婚事情
http://www8.wind.ne.jp/mantokuji/inter/interview.html





2012年2月19日日曜日

評論ではなく、随筆へ。作品評、という文体。

text by iina

「ASYL」公演を観て頂いた作家の方々に作品評の執筆をお願いしている。
今後のことも含めて言うならば、本来は評論家という方々に書いてもらえるのが良いはずではあるものの、ことに評論というものが不在である昨今。評論の掲載メディアも少ないし、分かりやすい日本語で文章を書いてくれる研究家も少ない。と僕は実感を持って思っている。

「ASYL」は(実は)私小説の要素も多く持っている作品であるから、作品評を書いて頂ける方には、まず「随筆(みたいな感じ)で御願します」と依頼することにしている。それから、こちらから、「この方に書いて頂きたい」と強く思う方に執筆頂いている。中身は、芸術史云々ではなく「私」という確固たる個人の体験を書いて頂ければ、この作品の空気が共有できるのではないかと思うので、その旨をお伝えしている。それは嘘のない文章だからである。

2011年11月に京都公演が終わるとすぐに、大阪のアートディレクター荒木基次さんから「ASYL作品評」を頂いた。記念すべき1つめの作品評であった。西松さんが発行している会報誌「美紗の会たより」に掲載するための文章であったが、掲載前に文章を読ませて頂くことができた。
荒木さんとは、京都でのスタジオクリエイションの際、祇園の酒の席でご一緒させて頂いた。「今、こういう作品を作っています」という話をしたところ、荒木さんは「名前のことでね、寺田さんも"みさこ"だし、西松師匠も"美紗の会"という会名を持っているし、2人の女を"みさ"という名前で存在を重ねてみたらどうだろうか」という意見をもらった。僕はそのままそのアイディアを頂いた。2人の女性を重ねる、という構想は前々からあったもの、重なった存在を"みさ"と名付けて扱うことに、目から鱗、というか、大きな前進を得た。(実は、作中には一切出ないが2人の女性は「高尾美紗」という新しい1人の人物なのである。)

↓ 現在WEBに掲載されている文章が、荒木氏の文章です。



京都の町並みや途中に出会った人(タクシーの運転手)を通過して、永運院に入り、この作品を目にする「荒木氏の視線」というものが時間軸のまま描かれており、あくまでも個人的体験と実感で構成された作品評というものに感銘を受けた。まさに僕自身があの場所にいた空気感そのものが追体験できたのであった。是非、作品を観て頂いた多くの作家にこのスタイルでASYL評を書いてほしい、と思い、みなさんに作品評の執筆をお願いしまくっているという背景である。

雑誌やWEBのレビューや評論と名乗るものを読んでみると、作品そのものについての言説よりも、いかにそこから知識を派生させ、情報を連鎖させ、頭の良さそうな独自の哲学を書くか、ということに力が入っている。
結果、対象となった作品のことよりも、執筆者のお勉強の成果が作文されていることが多い、もしくは、照明がどうの、使ってるテクノロジーがどうの、観客の入れ方が面白い、など、もはや作品も作家も不在のレポートが書かれていることも多々あり閉口する。
あるいは、媒体を売るために無闇に褒める風潮もある。なんでも「好き」「おもしろい」というわけである。
この手の悪口を言い始めるとどうにも止まらないので、このあたりする。

ひとつ思い出したので、あえてしつこく書いておくと、僕が評論家という人を非難(時には軽蔑)することにした決定的な事件は、「飯名さんの公演楽しみにしてます、観に行きますから招待状送っておいてください」と言われてからである。その瞬間、地獄に堕ちろ、と思ったのである。まだまだ僕はこういう連中にこういう扱いを受ける身分なのだな、とも思ったことも確かであるから、反面教師的には役に立った事件であるが、それにしても、ヒドい物言いである。しかし、冷静になって考えてみれば、そういう関係で、作家と評論家というのはつき合っているわけであり、作家も闇雲に招待状を出して、記事になって少しでも売れようと思うのは商売上当たり前であり、と同時に、それでいいのだろうか、と大いなる疑問符が打たれる。

荒木氏の作品評は、上記のような粗悪品とは一線を画するのである。そう思うのはこの作品を褒めて頂いたからではない。荒木氏ご自身の言葉と体感で書かれた文章であることが一目瞭然であり、荒木氏の文章もまたひとつの作品であると感じたからである。

同じく、演出家の鈴木史朗さん、振付家の高橋砂織さん、ライターの亀田恵子さん、といった方々の評もまた、随筆、というスタイルを持っており、その人柄がよく見える。その人の視線が感じられる。書き手の視線と息づかいを感じる文体は、すでにひとつの作品であるから、そこにどんな感想が書かれているとしても、それは本質である。
近く、詩人のヤリタミサコさん、音響の専門家である縄岡好人さんの文章も公開する準備をしている。

このところ、すべてのジャンルにおける作品についての感想、批判、評論、というものが欠落している。と感じる。その作品が好きなのか嫌いなのかも分からない文章も多い。嫌いであれば、なぜ嫌いかを書けばよい。好きならばどこが好きなのかを書けばよい。それだけのことが出来ない文筆家は、言葉で一体何を伝えようとしているのだろうか。

存在の強度が試される時代である。「ワタクシ」の感性というものが信用される時代でもある。であるから、随筆や私小説に込められる「自分の言葉」を扱いこなすべきなのである。
僕は「言葉」が好きであり、「言葉」を信用しているから、尚更そう思う。